東谷義和さんの人物、エピソードなど。
ライブにゲリラ参加ー
来週からアーシーチャンネルになるって
めちゃ嬉しい!!!さすがやわ笑 pic.twitter.com/qBvFKSTZ4K
— 東谷義和のガーシーch (@GaaSyy_ch) April 7, 2022
東谷義和さんの人物やエピソードなどを下記に簡単に紹介を致します。
- 人相は悪いけれども人当たりはよく、面倒見がとても良い性格。
- ロンドンブーツの田村淳さんとは若い頃からの親友。
- 酒、タバコは一切やらない。しかし、かなりのギャンブル好きとのこと。
- 島田紳助さんに慕われており、東谷義和さんも2人目の親父と慕っている。
- 東谷義和さんの実父が亡くなられたとき、島田紳助さんは番組をキャンセルして葬儀に駆けつけたとのこと。
- 芸能界、スポーツ界隈、実業家と尋常ではない人脈を築いていた。
- 特にモデル関係の女性から慕われており、紹介した女性を通じて多くの芸能人の裏事情に精通していた。
東谷義和さんはアテンドの前にどんな仕事をさらていたのか?
- 大阪で板金工場、車の販売代理店の経営もされていた。
- アメリカザリガニ平井義之さんと六本木で『MACCA』というバーを共同経営。
- 札幌すすきの、大阪北新地の『MACCA』の支店を出店。
- 芸能人限定のバー『プライブ』を西麻布に開店。
- 『MACCA』『プライブ』で培った芸能人との人脈からアテンド業を始める。
- 芸能事務所も運営。いいとも青年隊の岸田健作さんを預かっていた。
東谷義和さんは伊丹西高等学校を卒業後、大阪の板金工場、車の販売代理店の経営などをされていました。
そして、たまたま大阪ミナミのバーで飲んでいるときにガンバ大阪の廣長優志さんを通じて、ロンドンブーツの田村淳さんと懇意に。
1995年に田村淳さんの誘いを受け、東谷義和さんは24歳のときに上京。
当初は田村淳さんの自宅に居候をしており、その間に島田紳助さんとも仲良くなっていきます。
その後、東谷義和さんは、1995年にお笑い芸人のアメリカザリガニの平井義之さんと六本木に『MACCA』というバーを開店。
『MACCA』に通じて、着々と芸能人との人脈を築き、後に始める芸能人を対象としてアテンド業の礎を築いていきました。
そして2006年の35歳のとき、東谷義和さんは西麻布に芸能人限定のバー『プライブ』を出店します。
客層を芸能人限定にしたため、『MACCA』のときよりも更に芸能人が来店。
それがきっかけで東谷義和さんは芸能人のアテンド業を本格的に行うようになりました。また、並行して芸能事務所も経営。
いいとも青年隊の岸田健作さんが一時期、所属していました。ただ、現在は芸能事務所の経営は手を引かれているようです。